牛久助郷一揆の道標

 阿見町の阿見一区南の信号の南側に、牛久助郷一揆の道標があります。

現在は地元の人によって、屋根がつけられ保護されています。

牛久助郷一揆とは文化元年(1804年)、牛久宿の荷役に関する農民の負担を

増やそうとした動きに対して、農民が決起して首謀者3名の家を打ち壊した

騒動です。

名称に牛久とありますが、一揆に参加した村は、

北は現在のつくば市南部の手代木、南は龍ヶ崎市と

大変広範囲におよびます。

大規模なものです。記録によると係わった農民の数は2500名以上、有罪判決を

受けた者は1600名とあります。

興味深いのは、被害者の麻屋冶左衛門が一揆の指導者3名

勇七、吉重郎、兵右衛門の戒名を道標に刻んで供養してる、という点です。



農民たちの行動は家財の打ちこわし以外、秩序だっていた

という記録もあります。また、被害者側も農民の気持ちを汲んで、

獄中死した3名の慰霊を行ったのでしょう。




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