広岡の道標群 -その1 常総学院前の道標ー

土浦の下高津で水戸街道と坂東街道が分岐します。

ここから坂東街道をつくば方面に向かうと広岡に入ります。

そのため広岡には多くの道標が築かれました。常総学院の近くにある道標は大きく

立派です。

【東側】道普請供養塔



 梵字が曼荼羅のように配置された図式は立派ですが, 筆者は詳しくないのでご存知の方
 ご教示下さい。碑の左側に「国家安全」とありますが,これは元の石碑が建てられた
 享保二十一年(1736年)ではなく再建された文政十一年(1828年)に刻まれたのでは
 ないかと思います。1828年はペリー来航の25年前にあたります。 このころは,
 北からロシア, 南からイギリスが近づいている時期で, 人々が自国の国家像を意識せざる
 を得ない時代になってきたのではと想像できます。


【西側】馬頭観世音
 石碑の傍らにお神酒が供えられていて, 道標建立の精神が今も生きています。


「馬頭観音」の左右に道しるべが記されています。
"やたべ"は現在のつくば市谷田部で, この碑の再建の少しあとに谷田部藩に二宮尊徳が
招かれることになります。詳しくはこのブログの大池回生の碑(洞峰沼)をご覧ください。

"ふせ道"は水戸街道の脇街道である布施街道を指すと思われます。

立派な道普請供養塔のそばにの特別大演習記念の道標(昭和四年)があります。
こちらは昭和初期, 天皇陛下のご臨席のもと毎年行われていた陸軍の大演習が
茨城県で行われた際の記念道標です。特別大演習記念の道標はつくば市内にも
多くありますが, 水戸市常磐町で埋没していた道標が見つかり調査が行われています。

こちらの道標はきめの粗い石でかなり侵食が進んでいます。
その他の昭和初期に建てられた道標も同様の石で歴史的にはまだ若いですが, 
読み取るのが困難な道標が多くあります。

さらに, ふたつの道標の傍らに短冊が掲げられています。
「天下泰平」,「村内安全」とあります。
 こちらの方がローカルになっていて興味深いです。
 
 この地域の昔のお話をどこかの文献で読んだことがります。
「道が通って便利になったけれど, 人がふえて賭場ができたりして物騒になった」
 という内容だったと思います。貨幣, 物資の流通と人の往来が増加した江戸後期の
 風景を感じることができます。

 広岡の道標群 ーその1 常総学院前の道標ー

コメント