小澤の道標は北條の商店街を西へ抜けて, 道沿いに進んだところにあります。

背が低く, ひび割れが進行しています。
東側の面


西側の面
南側の面
北側の面
「譓泱童子」とは 漢字の意味をそのまま訳すと, "賢さがあふれる子供"の意。
幼くして亡くなった子供を供養するため, 建てられたのではと思います。
□の部分は, 梵字で観音菩薩を表す"サ"に近いですが, 筆者は詳しくないので
よく分かりません。詳しい方がいらっしゃいましたら, ご教示ください。
この道標では, "道"を”ミち”とカタカナとひらがなが混ざって表記されているのが特徴で,
明治以降に建てられた道標では このような混在は珍しく, おそらく明治以前のもの
かと推測されます。
また, 形状は角柱ではなく上面は四面の屋根のようになっています。
2021/3/13 追記
筑波町石造物資料集(上)”によると「譓泱童子」の道標は小澤のとなりの杉木にある
ことが記録されています。もうひとつの「譓泱童子」の道標は,
正面の右に「譓決童子菩薩」、正面の左に「志いのふやくしみち」と陰刻されている
ことから, 小澤の「譓泱童子」の道標は, 同資料集に記載されているものとは, 別物で
あると思われます。
しかし, もうひとつの道標の陰刻から, 小澤の道標で読み取れなかった部分を推測する
ことができます。
東側の面の「・・・のやく(し)」は「志いのふやくしみち」である可能性があります。
ここで, この地域で薬師様関係の神社仏閣等を探してみると, 小田の北側に延寿院薬師堂
がありました。また、杉木の「譓泱童子」の道標は宝永元年(1704年)建立と記載されて
います。
小澤の道標
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